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旅立ち

これを書いているのは2013年2月13日。
なかなか書く事ができなく、半年以上経って少し心が落ち着いたので書いてみました。
記事の日付はラムが旅立っていった日付にしてあります。

c0027383_107127.jpg午後3時45分飼い犬のラムが旅立って行きました。
年齢は約16才でした。
原因は癌により安楽死でした。
長い間猫や犬を飼ってきましたが、安楽死は初めてでした。

ラムはペットショップで無料で売られていたのを母と姪が見つけて引き取りうちにやってきました。
今でも初対面した時の事をハッキリと覚えています。

仕事から帰宅して玄関に入ると『犬臭い!』と思い、なんで犬の臭いがするんだ?と思いながら家に入ると猫達が何かに怯えている感じで様子がおかしく、どうした〜?とかけ声をかけながら家の中をウロウロしてみたが、誰もいなく特には変わった様子はないけどとにかく犬臭い…
しばらくすると母が帰ってきたようで玄関で何かガタガタと音がして、しばらくするとバタバタと音がしたと思ったらラムがいきなり走ってきてぼくに飛び掛かってきて、『わぁ〜なんだお前は〜!?』となったのが初対面でした。

それからラムの散歩は父と母が行ったり、時間がある時はぼくが行くようにしていました。
ぼくが散歩へ行く時は近所の公園で『待て』の練習を覚えるまで何回もおこないました。
おかげでラムは『待て』を完璧に覚えてくれたので、登山の時は助かりました。

ラムが成長すると父が登山へ一緒に連れて行くようになり、その後ぼくもラムを連れて登山へ行くようになり、秋から冬は登山、夏は川へ行くのが定番になりました。

登山がとても好きで、登山前夜支度をしていると物音でわかるようで『登山に行くの!!!』と言った感じでソワソワしながらキャンキャン鳴いて喜んでいました。
ラムでは無理な登山の時は家で留守番してもらいましたが、その時は朝から夕方までずっと『置いてかれた…』と言った感じで悲しそうに鳴いていたよと母によく言われました。
ラムは寒さに強く-10度の吹雪の中も平気で登山をしてくれ一緒に登山をしていてとても頼もしかったです。

c0027383_1073419.jpg夏は山間部の川へ泳ぎに行きました。
川へ棒を投げると嬉しそうに川へ飛び込み、犬掻きで一生懸命泳いで棒を咥えて岸に戻って来たり、沢歩きを一緒にやったりととにかく川遊びも大好きでした。
山間部の川なので吹く風が涼しく気持ちよく、夕暮れになり『帰るぞ!』と声をかけても嫌だぁ~!と言った感じで逃げ回ったりもしました。

そんな元気なラムでしたが2010年の夏頃から年齢のせいか少しずつ元気がなくなり、その年の秋によく登山していた山の登山口へ紅葉を見に出掛けた時ヨロヨロと歩き休憩時に眠ってしまったのには驚き、もう登山する体力はないのか…と淋しく思う事がありました。
それが一緒に山へ行ったのが最後でした。

2011年の年末頃から痴呆の症状が始まり夜中になると鳴き始めるようになってしまい、夜中に散歩するようになりました。
散歩をすれば大人しく寝てくれるようになり、この頃からラムの横で一緒に寝るようにしました。
2012年の始め頃には完全に昼と夜が逆転してしまったようで、人が寝静まる頃になると騒いで鳴くようになり家族が眠れなくなり近所迷惑にもなるので、騒ぎが始まりひどい時はクルマに乗せて寝静まる朝までドライブへ行っていました。
ドライブはだいたい夜中の1時半過ぎから朝7時くらいまでで、朝霧高原や富士五湖周辺へよくドライブへ行きました。
おかげで満点の星空を見る事ができたりもしましたが、一睡もしないで仕事をしたりしてずっと寝不足が続き一週間の総睡眠時間が7時間と言う時もあり正直大変でした。

2012年の4月下旬頃ラムのあご横辺りが腫れているのに気がつき病院へ行くと歯肉炎では?と診断されましたが、3日くらいしても腫れが治まらず再度診療してもらうと腫瘍かもしれないと言われ病理検査をして悪性の腫瘍と判明。

獣医からは三つの選択肢を言われました。

1、放射線治療を行なう
ただし当院ではできないので他の病院を紹介するが、放射線治療を行なう時は全身麻酔をしなければならなく、高齢なため全身麻酔してそのまま安楽死になる可能性が大きい。
通院などで身体の負担も大きい。

2、腫瘍の切除
腫瘍が広範囲に広がっている可能性があるためあごを切除する。
ただしこれも全身麻酔が必要なため安楽死になる可能性が大きい。
手術は当院では無理なので他病院を紹介。

3、投薬をして余生を少しでもラクに過ごさせる
痛み止めや抗生剤の投薬で少しでもラクになるように余生を過ごす。

うちに来てからずっとこの獣医にお世話になっているので最期まで先生に診て欲しいと頼み3を選び、今後どのようにラムの症状が進んでいくのか詳しく聞きました。
腫瘍が大きくなるにつれ他へ転移する可能性もあり、脳に転移すると眼球が飛び出てくる事もあると言われかなり動揺しました。
そしてある程度進行してラムの身体に負担が大きくなった時は安楽死も考えるように言われました。

6月になると腫瘍がかなり大きくなりだいぶ目立つようになった。
痴呆も症状がひどくなり、相談すると精神安定剤をすすめられ投薬したところ二日間も寝たきりになってしまい、このまま弱ってしまいそうなので安定剤はやめる事にして最期までラムに付き合う事にしました。
まだこの頃は調子が良い時は自力で歩けました。
この頃から獣医から安楽死をすすめられるようになったが、もう少し様子をみたいと言って断る。

7月、家の建て替えのため仮住まいに引越しがありました。
ラムがこんな状態の時に申し訳なかったけど、こればかりはしょうがないので新しい家にまた戻ってこれるようラムにお願いして引越し。
この頃になると自力では歩けなく、補助具を着けてほんの少し散歩や排せつをするようになった。
ご飯は自力で食べる事ができなく、ミンチ状にした流動食を改造した針の付いていない注射器に入れて口を開けて注射器でご飯を流し込んであげていた。
消毒と輸液のため二日おきに病院へ行くようになりそのたびに安楽死を言われ続けたが、食欲があるうちは…と言って安楽死を断っていた。
7月後半の頃はもう完全に寝たきりになってしまい、15kgくらいあった体重も8kgまでになっていた。

8月、腫瘍が人間の大人のこぶしほどの大きさまで大きくなり、医者から安楽死を強く言われるようになった。
腫瘍は血管を作りながら成長していくらしく、成長のスピードが速すぎて血管ができるのが追い付かないようで、皮膚が壊死してきて口の中が膿だらけになってしまい、水で口の中を定期的にきれいにした。
8月17日、病院へ行き腫瘍部分の消毒をしてもらっていると、あごに穴が開いて貫通している事が判明。
これを見た時に”もはやこれまでか…”と思い、帰宅して家族に安楽死の事を話したところ、ずっとぼくが面倒を見てきたのだからぼくが決めて良いと言ってくれた。
8月19日、朝病院へ15時頃行くので安楽死のお願いの電話をする。
電話をしたあとドライアイスと棺桶、花を買いに行く。
悲しいけど淡々とこなした。

14時頃最後の食事をさせるがほとんど食べなかった…
その後以前もらっていた精神安定剤を飲ませてラムを眠らせました。
眠らせた理由は他人(獣医)に殺される(安楽死)のなら、せめてぼくの手で意識を失くそう…と思っての事でした。
病院へ出かける前に近くに猫のユキがいた。
ユキはよくラムのそばで寝たりして仲良くしてくれていたので、眠っているラムにお別れを言いなと言うとラムのそばへ行き『ニャン』と悲しそうに鳴いた。
これにはビックリして涙がでてきてしまった。
眠っているラムをクルマに乗せて病院へ。
病院へ行く途中建築中の家へ寄り、眠っているラムを抱きかかえて『一緒に新しい家に戻れなくてごめんね…』と謝った。

病院へ行くと院長も辛そうな表情をして待っていた。
家を出る前に精神安定剤を飲ませて眠らせた事を告げ、本当に苦しまないか聞くと強烈な眠り薬を打つので一瞬だと説明を受けた。
準備が終わり院長が”いいかな?”と聞いてきたのでお願いしますと言い、
『ありがとう、よくがんばった、ずっと一緒で楽しかったよ、お父さんに散歩へ連れてってもらいなね…』
と言い、注射が打ち込まれ息をして動いていた胸があっという間に動かなくなり生涯を終え旅立っていきました。

その後院長が色々と処置をしてくれ、最後にきれいにブラッシングをしてくれた。
まだ眠っているように安らかな顔をしていて、院長が精神安定剤を飲ませた事で苦しまず眠ったまま逝ったので死後硬直に時間がかかると言っていた。

c0027383_109307.jpg家に戻り用意していた棺桶にラムを入れると子犬のような表情をして眠っているようで信じられないほどだった。
棺桶に入れるとすぐにクロが寄ってきてお別れの挨拶をしていた。
クロもラムと仲良くしてくれ、散歩から帰ると家の前でよく出迎えてくれラムにスリスリしてくれた。
ラムの周りに花を飾っていると他の猫達も集まってお別れの挨拶をしに来た。

信じられない事に夜になってもラムの身体は柔らかく本当に眠っているみたいだった。
ミャーちゃん、ムーニャン、カト吉の時はあっという間に身体が硬くなりビックリしたが、ラムの場合翌日になっても柔らかかった。

翌日、火葬場へ行き完全に旅立っていきました。

ラムと一緒に過ごした時間はとても楽しい時間でした。
痴呆で少々大変だったけど、今では深夜のドライブや誰もいない静まり返った本栖湖畔で見た満点の星空や満月の輝きなど良い思い出です。
寝たきりになっても排せつなどでは全然苦労しなかったです。
出たくなるとシッポで床を叩いて教えてくれるんです。
夜中にラムの横で寝ていると”パタパタパタ…”と音がするのでラムを見るとシッポを強く振って床を叩いているんです。
ラムはトイレは外でしかしなかったので、家の中やオムツをしてするのは嫌なんでしょうね。
すぐに抱きかかえて外へ行って身体を支えながら排せつを済ませました。
寝たきりの場合、排せつで身体がうんこやおしっこまみれになって大変だったりするけど、ラムの場合はほとんど手がかかりませんでした。
最後まで本当にお利口な子でした。

安楽死後、12月くらいまではもし安楽死をしていなかったらまだ生きていたかも…とずっと考えていました。
本当に安楽死をして良かったのか…
ラム自身は最後の最期までがんばりたかったのではないか…
寝たきりでもいてくれるだけで嬉しかったのに…
などとずっと思っていました。

うちに来て楽しい生涯を過ごせたのかな…
ぼくはラムが来てくれて本当に楽しかった。
ありがとう。

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写真をどんなにチェックしても、ラムと一緒に写した写真ってこれしかなかった…
登山時に記念に写真を撮ろうとセルフタイマーでセットして撮影。
動いてしまってちゃんと撮れてません…(泣)


最後に…
最近ペットをペットホテルなどに預けて平気で泊まりの旅行などへ行っている人を多くみかけます。
ペットは家族と言ったりしますが、自分の子供を預けて旅行など行きますか?
どうしようもない用事で預けないとならない場合ならわかるけど、自分達の娯楽の欲求を満たすために預けるってのはどうも納得いきません。
うちの場合、必ず誰かがペットと一緒に留守番をしています。
ほとんどぼくが留守番しているのですが…
そんな事で家族全員で泊まりの旅行なんてもうずっとしていません。
平気で娯楽のためペットを預ける神経がぼくには理解できないし、そんな人がペットは家族だなんて言っていたらチャンチャラおかしいですよね。
こんな人達はきっとすぐに安楽死を選択するのかな…
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by santaro_03 | 2012-08-19 15:45 | 旅立ち

旅立ち

大晦日にカト吉が旅立っていきました。
推定19才、高齢でここ数年は病気と闘っていましたがよく長生きしてくれました。

大晦日に記事を書いたあと、旅立ってしまっても正月の三が日は一緒に過ごそうと思っていのたで、まだがんばってくれていたけど旅立ったあとの事を考えて氷屋さんへ行ってドライアイスを買いに行きました。
大晦日まで営業して正月も3日から営業してくれたので助かりました。
ドライアイスを買って戻ると鎮静剤がきれてきたようでまた呼吸が乱れて苦しそうに軽い発作をおこしはじめ、また大きい発作と痙攣が起きるとかわいそうなので、病院へ電話して再度少量の鎮静剤を打ってもらう事になった。
病院へ向かう車中で母の腕に抱かれて大きく2回鳴き、それが最後のカト吉が発した最後の言葉でその直後動かなくなりました。
病院へ到着して診察してもらったが、心臓は今にも止まりそうに弱々しく動き、もう二度と起きる事も苦しむ事もなく最後は母の腕の中で旅立っていきました。
看病している時は苦しそうにしている姿を見ているのがとても辛かったけど、今思うとすごく必死にカト吉は戦っていたように思います。
本当にがんばってくれました。
最後までタオルを食いしばって離さず、必死にがんばってくれたカト吉をとても誇らしく思います。
本当によくがんばりました、ありがとう。
病院の先生も休みにも関わらず待機して診てくれて本当に感謝でいっぱいです。
先生もここまでがんばってくれて嬉しいと言ってくれました。
また、他の糖尿病の猫はここまでうまく血糖値をコントロールできないのに、よくここまでコントロールできて先生も嬉しかったと言ってくれました。
今日午前中に火葬場へ行ってカト吉とお別れしてきました。
形は変わってしまったけどお正月をみんなで過ごせました。

カト吉は祖母が猫を飼いたいと言い、兄がノラ猫でまだ子猫だったカト吉を拾ってきました。
祖母が面倒を見ていましたがその後寝たきりになってしまい引き取ってそのまま飼うことになった。
最初の頃はミャーちゃんムーニャン親子の三匹でのんびり暮らしていて、カト吉はムーニャンの事が好きなようでしょっちゅうムーニャンにちょっかいをだしたりしていた。
その後チビとユキ、茶々、茶太郎がやってきてからカト吉の様子が少しおかしくなってきた。
ある日急に発作がおきて口から泡を吹いて痙攣を起こし病院へ。
検査をしても特に異常が見つからず、過度なストレスが原因なのでは?と診断された。
思い当たるのはチビ、ユキ、茶々、茶太郎がやってきたことしかなかった…
カト吉の性格は仲間と一緒にいるよりも、一匹狼のような感じで時々はムーにゃんにちょっかいをだすが、それ以外は一人で気ままに過ごす感じで、あまり人にも媚を売ったりしなく三太郎がイメージしている猫らしい猫の性格。
でもよくカト吉と鬼ごっことかくれんぼをして遊んだりした。
最初にぼくがカト吉を追いかけて捕まえたあとに身体をゴシゴシ撫でて、キョトンとしたカト吉を残してすぐに逃げるように物陰に隠れるとカト吉は三太郎の事を探し始め、見つけるとダーッと逃げるので今度はぼくがカト吉を追いかけてまた捕まえて…と、そんな遊びをよくやりました。

そんなところに一気に四匹も猫が増えてしまいストレスがたまっていたようで、それが一気に爆発したようだった。
それからのカト吉は家にいるのをとても嫌がり外へ出たがって大変でした。
脱走した時に交通事故に遭いアゴの骨にヒビが入ったりもした。
けっきょく家にいてまたストレスがたまって発作が起きるのもかわいそうなので、玄関横に小屋を作りリードで繋ぎ番犬のような感じで外で生活する事になった。
昼間は日当たりの良い庭にダンボールの箱を用意してそこで日向ぼっこをして過ごしていた。
一日中リードに繋がれているので、毎晩交通量と人通りが少なくなった頃に散歩へ連れて行きました。
最初の頃は犬のように一緒に歩いたりはしなかったけど、慣れてきたら犬のように一緒に並んで歩くようになった。
カト吉は毛足が長く、外で生活しているので段々と毛玉ができてしまいブラッシングが嫌いなのでやらないでいたら毛玉が鎧のようになってしまい、チビやユキを連れてきたのは三太郎なので、ぼくのせいでカト吉がこんな生活を送らないとならなくなってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいになり、嫌がるカト吉をなんとかなだめながら半年間かけて毛玉を取り、最後の方はあきらめたようで好きにしてくれと言った感じでブラッシング中大人しくなった。
その後またカト吉の様子がおかしくなり発作が起きて再度病院へ行くと糖尿病と診断。
ご飯はとくに変わったモノはあげていなかったが、祖母が飼っていた時にあげていたご飯が原因のようで、それが今になって症状として発症したようだった。
血糖値を測る機械は最大で450まで測れたが、毎回450でインスリンを注射して血糖値を抑える事になった。
ただ猫の場合血糖値を一定に保つのが難しいようで、どのくらいの量を投入すれば良いのかなかなか定まらず、カト吉の様子を見ながら量を決めていく事になり、最初のうちは量が多すぎて血糖値が低くなって貧血を起こしたりと大変だった。
インスリンの投薬を始める時に先生が、猫は血糖値のコントロールが難しいからあまり長生きはできないかも…
新記録を作ってほしいと言われた。
それから嫌がるカト吉を家に入れてなんとかなだめながら家の中で過ごすようになった。
ある程度血糖値はコントロールできても糖尿病により併発した病気を起こしたりして、朝晩インスリンを打ちながらその他の治療もおこなっていった。
昨年の夏前に右耳をかじったらしく治療しても治らなく、最後は右耳が潰れてしまい耳の穴がふさがってしまった。
毛足が長くフサフサだった自慢のシッポは毛が全部抜け落ちてしまい、ネズミのシッポのようになってしまった。
ただ嬉しかったのは、弱々しくなってしまったカト吉を他の猫達がみんな見守ってくれるようになり、とくにユキはいつもカト吉のそばにいてくれた。
どうしても家を空けなければならない時はいつもユキに『カト吉の事を頼んだよ、しっかり面倒を見てあげてね』と言って後ろ髪を引かれる思いで出掛けていた。
毎年正月は家族は旅行へ行くので、いつもぼくが留守番役を引き受けてカト吉や他の子達の面倒を見ていたが、今年は旅行へ行かなかったのでみんなでカト吉を見送る事ができた。
母に旅行へ行かなかった原因を聞いても旅行へ行きたいと思わなく、今となってはカト吉が引き止めていたのでは?と言っていた。
毎晩カト吉は母と寝ていたので最後も母の腕の中で旅立っていったのでカト吉も嬉しかったかなと思っています。

カト吉は今頃どの辺りにいるんでしょうか…
ミャーちゃんとムーニャンに会えたかな…
大好きだったムーニャンに会えるからきっと楽しみにしているかな…
もうおしめもしなくていいね。
数年の間ずっとおしめをして窮屈な思いをさせてしまってごめんね。
もう痛い注射も打たなくていいね。
チビやユキたちが来た事で辛い思いをさせちゃったね…
お花がたくさん敷き詰められたダンボールの中で眠っているカト吉を茶々がずっと見ていたね。
倒れてから辛そうにしているカト吉をチビと茶々が心配そうに見ていたのがすごく印象に残っています。
身体は小さいけど、ストーブの前にいなくなってしまったカト吉の存在はとても大きく、部屋がガランと広くなってしまった…
最後まで闘っていたカト吉の姿はとっても立派でした。
長い間ありがとう、窮屈な思いもさせてしまってごめんね。
ミャーちゃん、ムーにゃんカト吉のことをよろしくお願いします。
うちに来てくれて本当にありがとう。
これからは安らかに過ごしてください。

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ダンボール箱で日向ぼっこして過ごしているカト吉
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by santaro_03 | 2010-01-04 15:58 | 旅立ち

旅立ち

c0027383_0362792.jpg今朝の9時過ぎに飼い猫のムーニャンが旅立っていきました。
約17才と母猫のミャーちゃんと同じく長生きをしたほうだと思います。
2年くらい前に赤血球が異常に多い事が分かり、1年ほど前には腎臓がかなり弱っていていつ旅立ってもおかしくない状態と診断された。
今年に入ってからは毎週通院して点滴&注射を打つようになり、半年ほど前からは週三回通院して点滴&注射を打つようになっていた。
先週からほとんど食べ物を受けつけなくなり、11日からは自力で立つこともできなくなってしまった。
12日に二回発作が起こり、自力で立てないのに時々立ち上がろうとするので、ヨロヨロして骨折でもしたらマズイのですぐに支えてあげられるように寝る時は枕元に寝かせてほとんど寝ずに看病していた。
昨夜から口を開けて大きく呼吸するようになり、今朝眠るように息をひきとりました。
今は花を敷き詰めたダンボール箱の中で眠っています。

ムーニャンは6月に旅立ったミャーちゃんの子で、生まれた時はミャーちゃんと同じでノラ猫でした。
ムーニャンと一緒に生まれた兄弟たちは引き取り手がありもらわれていき、ムーニャンはミャーちゃんとずっと一緒に過ごしていました。
最初にミャーちゃんを飼う事になり、母猫は飼っているのにその子供を飼ってあげないのはかわいそうだと猫嫌いの父を説得してムーにゃんも飼う事になった。
でもムーニャンは家にいるよりも外にいる時間の方が多く、ご飯を食べに家に帰ってくる感じで、ご飯を食べるとすぐにまた外へ遊びに行ってしまうくらいのおてんば娘だった。
時々天井裏でミシミシと音がするので
「ムーニャン?」
と呼ぶと「にゃー」と返事がかえってきて、天井裏でよく寝ていた事もあった。
でも時々ミャーちゃんと一緒に寝ていると、私も一緒に寝かせてと言った感じで無理矢理三太郎とミャーちゃんの間に割って入ってきて強引に布団に入ってきた事も多くあった。
でもやっぱり家にいるよりも外が好きと言ったタイプでミャーちゃんとは正反対だった。
写真は93年に撮影でまだおてんば娘の頃。

そんなおてんば娘のムーニャンだったけど、病気になってからここ一年は外へ出さないようにしてずっと家の中で生活をしていた。
最初は外へ出たがったらどうしよう…と思ったが、自分でも身体が弱ってきたのが分かったのか外へ出たがる事もなく、教えたわけでもないのにちゃんとトイレで用もたしミャーちゃんの子だけあってなかなかのおりこうさんだった。
三ヶ月ほど前から食がめっきり細り、最近ではろっ骨が浮き出てくるくらいに痩せてしまい骨と皮だけの状態だった。
輸液の点滴を打とうと針をさしても、脂肪がほとんどないので針が出てきてしまうほどだった。
ミャーちゃんの時もそうだったけど最後は病院通いの日々で大変な思いをさせてしまったかな…
週に三回も点滴や注射を打たれて痛い思いを沢山させてしまった…
ごめんね。
でも少しでも長く一緒にいたかったんだよ。
これからはもう痛い思いをする事もないよね。
もうミャーちゃんと会えたかな?
ミャーちゃんの他にも沢山の仲間が待ってくれていると思うよ。
みんな優しい子達ばかりだからそちらで楽しく暮らしてね。
時々はカト吉の病気を気にかけてあげてね。
ムーニャンの事が大好きだったからね。
それと具合が悪くて寝ている時に茶太郎が「遊んで!」と何回もちょっかいをだしてごめんね。
茶太郎はずっとムーニャンに遊んでほしかったみたい。
ダンボールで寝ているムーニャンに何回も挨拶していたね。
あとから来たチビ、ユキ、茶々、茶太郎たちの事を受け入れてくれてありがとう。
ミャーちゃんと同じで最後はのんびりと暮らすことができなかったね。
ごめんね。
これからはミャーちゃんたちとのんびり暮らして下さい。
抱っこされるのが好きじゃなかったからほとんど抱っこする事ができなかったけど、最後に身体を拭いている時に初めてゆっくり抱っこする事ができて嬉しかったよ。
ゆっくりやすんでね。
ありがとう。
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by santaro_03 | 2007-09-15 00:50 | 旅立ち

旅立ち

c0027383_111440.jpg今日の17時半頃、ミャーちゃんが旅立っていきました。
推定18才と猫の中では長生きをしたと思います。
今は花を敷き詰めたダンボールの中で安らかな顔をして眠っています。

月曜日に歩くこともできなくなってしまい、病院へ連れて行ったところ癌の転移が早く、体力も落ちているため今後かなり苦しむ事になるので、これ以上苦しまないためにも安楽死を考えて下さいと先生に言われた。
ある程度覚悟していた言葉だったけど辛かったです。
「もう少しこのままで…」
と言うのが精一杯でした。
いつもの処置をしてもらい
「おうちに帰ろうね」
と言って帰宅。
辛そうにうずくまっている姿を見るととても辛く、早く楽にしてあげた方が良いのかな…と何回も思い、母も同じ考えでした。
でも身体の自由がきかなく立てなくなってもトイレへ行こうとしたり、辛くても必死に生きようとしているように見え
「最後の時まで家にいさせてあげよう」
と母に言うと
「飼ってもらいたくて外でずっと鳴いていたよね」
「最後までおうちにいようね」
と、最後まで見守ることに。
今日は朝から夕方まで4回ほど発作がおき、最後は眠るように息をひきとりました。

まだぼくが東京に住んでいた17年くらい前に、帰省した時に初めてミャーちゃんと出会った。
初対面なのにいきなり身体を触らせてくれて、お腹までだしてゴロゴロして人懐っこいのでどこかの飼い猫だと思った。
帰省するたびに姿を見かけ、母に聞くとどうやらノラ猫らしく、庭でご飯を毎日あげる事になったと言っていた。
そのうちムーニャンを含め三匹を出産。(ムーニャン以外は貰い手がいた)
母に生まれた子猫を一匹ずつくわえて見せにきたらしく、そのくらい母はミャーちゃんに信頼されたようだった。

やがてぼくは東京を離れ実家に帰ることになった。
それからいつもぼくの姿を見かけるとミャーミャー鳴きながら走ってきて、足元でお腹をさすってぇ~とゴロゴロ状態になり、いつもお腹をさすってあげた。(写真はこの時に撮影)
しばらくしたある日、部屋の窓がドタドタと物凄い音がしてカーテンを開けるとミャーちゃんの姿が…
ぼくの部屋は二階にあり、ぼくが部屋に入ったのが分かったらしく一階窓のひさしからジャンプして窓の手すりにしがみついていた。
ビックリして慌てて部屋に入れ、それ以来一緒に寝るようになり朝外に出す毎日が続いた。
飼ってあげたかったが父が猫嫌いなので飼ってあげる事ができなく、毎日庭から家を覗き見て
「私を飼って下さい!」
とミャーミャーと鳴いてアピールしていた。
あまりにも必死にアピールする姿を見て父も可愛そうに思ったらしく、ミャーちゃんのアピール勝ちで正式に飼ってあげることになった。
家に入ったミャーちゃんはとにかく膝の上が好きで、家にいる時は母かぼくの膝の上にずっといて、寝る時は腕枕が好きで夏の暑い時も一緒に寝て、たいていの時間はぼくの部屋で過ごしていた。

5年ほど前からあいついで四匹猫を飼うことになり、最初の二匹(チビ&ユキ)は父に内緒でぼくの部屋で飼っていたため、それ以来ミャーちゃんはぼくの部屋どころか二階にも上がってこなくなってしまい、初めてチビを見た時の淋しそうな表情をしたミャーちゃんの顔は今でも忘れません。
最後にミャーちゃんと一緒に寝たのは昨年の二月。
茶太郎が布団にオシッコをしてしまうクセがなおらなく、自分の部屋を追われたぼくは二階の物置部屋に寝袋で寝ることになり、寝ていると身体の上を何かが歩いているのに気がつき目を覚ますとミャーちゃんでした。
寝袋のチャックを開けると寝袋の中に入ってきて、昔のように腕まくらをして5年ぶりに一緒に寝ました。
この時はとても嬉しかった。
次の日も来るかな?と楽しみにしていたけどそれ以来来ることはなかった…
最後の5年間は猫が急に増えてしまい、静かに余生を過ごさせてあげられる事ができなく本当に申し訳ないことをしたと思っている。
おとついから辛そうなミャーちゃんを見て謝ってばかりいた。

今頃はどの辺りにいるんでしょう。
迷子になったりしてないかな…
たぶんミャーちゃんの事が好きだったバッチャが迎えにきてくれているよね。
トラちゃん、チビ、モンチ、ブッチ、バッチャ、ムックリ…ミャーちゃんがそちらに行きました。
生きた時代は違うけど、みんな家族だよ。
仲良くしてあげてね。

ミャーちゃん本当にごめんね。
そしてありがとう。
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by santaro_03 | 2007-06-07 01:19 | 旅立ち